\ xでも有益情報を発信しているので /
ぜひフォローお願いします!
【東京】神田明神【平将門北斗七星巡り④】
たぬき経営者になる!
それなら、東京都にある「神田明神」に一緒に行く?
ん?どこそれ?どんなご利益があるの?
新しいことに挑戦する人のパワースポットで、起業家やフリーランスから人気のある神社だよ!
起業家にピッタリの神社!
たぬきに教えて!
うん!今から詳しく解説していくね!
神田明神(かんだみょうじん)の概要
神田明神は東京都千代田区神田にある神社です。
創建は、天平2年(730)。別名、神田神社とも呼ばれています。
神田、秋葉原、大手町、丸の内、日本橋など108町会の総氏神であり、氏子(同じ地域に住み、その土地の鎮守神を信仰する人のこと)が広範囲にある都内でも有力な神社です。
108!?そんなに!
都内に住んでいたり、働いている人にはピッタリの神社だね!
ご祭神として平将門が祀られており、必勝開運・仕事運向上・事業繁栄のご利益があるとされています。そのため、鎌倉時代や戦国時代、江戸時代には「戦勝守護」の神社として名立たる武将から崇拝されていました。
また、何か新しいことに挑戦する人にはおすすめのパワースポットとされており、フリーランス・起業家・経営者層の方々に特に人気のある神社です。
神田明神で開催される神田祭は、山王祭(日枝神社)と深川祭(富岡八幡宮)に並んで江戸三大祭に数えられるほど有名です。
アクセスは、「御茶ノ水駅」「秋葉原駅」「新御茶ノ水駅」「末広町駅」より徒歩5分ほど。
周辺には、住吉神社や水天宮、小網神社が鎮座しています。
神田明神参拝前の前提知識
神田明神を訪れる前に絶対に知っておくべき前提知識を5つまとめました。
何も知らずに参拝に行くのではなく、ある程度知識を押さえてから訪れることで、より豊かな時間を過ごせるはずですよ。
神田明神の由来
神田明神の創建は天平2年(730)に遡ります。
天平2年(730)、出雲氏族の真神田臣(まかんだおみ)が、現在の東京都千代田区大手町の将門塚に位置する武蔵国豊島郡芝崎村に大己貴命を祀り創建したとされています。
もともとは伊勢神宮の御田(神田)があった場所であったため「神田ノ宮」と呼ばれていました。
その後、神田ノ宮の近くに平将門の首が埋葬された将門塚が創建されたのですが、鎌倉時代に周辺で頻発して自然災害や疫病が起きたので、これを平将門の祟りと人々は見なし、恐れていました。
そこで、時宗の遊行僧である真教上人がこれを手厚く慰め、延慶2年(1309)に神田明神に奉祀。
戦国時代には、「戦勝守護」として太田道灌や北条氏綱などの名立たる武将に崇敬されていました。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは、徳川家康が神田明神で戦勝のご祈祷を行い、戦に勝利し天下統一を果たし、これをきっかけに江戸幕府が成立すると、神田明神は幕府の尊崇を受け、元和2年(1616)に江戸城の表鬼門守護の場所に遷座し、社殿が造営され、「江戸総鎮守」として、江戸時代には幕府や江戸の庶民から崇敬を受けました。
明治時代になると、社名が神田神社に改称され、東京の守護神として「准勅祭社」「東京府社」に認定。
明治7年(1874)には、明治天皇が初めて東京に皇居を設け、神田神社を訪れて御幣物を献じました。
大正12年(1923)に関東大震災で社殿が焼失しましたが、地元の崇敬者や東京の人々によって、昭和9年に社殿が再建されています。
東京十社の一つ
神田明神は東京十社の一つにも数えられています。
東京十社とは、昭和50年に定められた東京近郊の10の神社を指します。
江戸から東京に変わる目まぐるしい変化の時期に、東京の鎮護と万民の安寧を祈るために定められた12社が元になっています。
東京十社の一覧は下記です。
- 芝大神社(大門)
- 品川神社(北品川)
- 赤坂氷川神社(赤坂)
- 日枝神社(永田町)
- 白山神社(白山)
- 王子神社(王子本町)
- 根津神社(根津)
- 神田明神(外神田)
- 亀戸天神社(亀戸)
- 富岡八幡宮(富岡)
以下の記事も併せてご覧いただければと思います。
平将門北斗七星巡り
平将門北斗七星巡りとは、平将門にゆかりのある7つの神社を訪れる巡りです。これらの神社は特定の順番で巡ることにより北斗七星の星座の形が浮かび上がるので、北斗七星巡りと呼ばれています。
巡る際には、以下の3つに気を付けて巡りましょう。
・日没までに巡りきること
・順番を守ること
・巡ってる途中で他の神社に立ち寄らないこと
平将門北斗七星巡りは、別称で結界巡りと呼ばれるほど影響のある神社巡りです。順番通りに巡りましょう。
下記の7つの神社を上から順番に巡りましょう。
- 鳥越神社(東京都台東区)
- 兜神社(東京都中央区)
- 平将門首塚(東京都千代田区)
- 神田明神(東京都千代田区)
- 筑土八幡神社(東京都新宿区)
- 水稲荷神社(東京都新宿区)
- 鎧神社(東京都新宿区)
反対の順番で巡ると「陽」から「陰」に反転するので、不吉とされていますよ。気をつけてくださいね。
神田明神のタブー
神田明神では、成田山新勝寺を崇拝している方が参拝に訪れることは良くないとされています。
これには、神田明神で平将門を祀っていることが関係しています。
成田山新勝寺の起源に関する伝承によれば、
朝廷側が平将門の反乱を鎮圧するためには軍事的な力では勝てないと気づき、呪詛で対抗することに。
そこで、僧である寛朝(かんちょう)を派遣し、京都にあった空海作の不動明王像を成田山に安置し、21日間の護摩の焚きの儀式を行う。
その結果、急に風向きが変わり、風に乗って飛んできた矢が平将門の額に命中し戦死。
この出来事により、現代でも神田明神の氏子たちには、成田山新勝寺への参拝を控えるという習慣があります。
言い伝えによれば、「成田山新勝寺への参拝は平将門を苦しめる行為」、「成田山新勝寺へ参拝に行くと平将門に祟られる」と口伝で語られているそうです。
なるほど!
気を付けないと!
神馬
神田明神は、神馬が見られる珍しい神社でもあります。
神田明神にいる神馬の名前は「明(あかり)」で、「あかりちゃん」の愛称で親しまれています。名前の由来としては、神田明神の「明」の字をいただいており、平和な世という願いが込められているそうです。
平成22年5月15日に神州佐久高原で生まれた、小さくて可愛らしいあし毛の牝馬です。
一般公開されているので、神田明神に訪れる際には見てみてください。
あかりちゃん、かわいいね!
神田明神の境内案内
ここから境内の見所を紹介していきます。
ご祭神やご利益に関しても説明しているので、ぜひ参考にしてみてくださいね。
社殿
ご祭神
大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
平将門(たいらのまさかど)
現在の社殿は昭和9年に創建されました。
伝統的な権現造りという建築スタイルに、当時としては斬新だった鉄骨鉄筋コンクリートを使った構造が取り入れられ、さらに総朱漆で美しく塗装されています。また、本殿・幣殿・拝殿の他に、神饌所と宝庫が綺麗に並べられており、昭和の初めでは神社の建築として新しいスタイルを取り入れています。
拝殿の一部は土の床が使われていて、その奥には畳の床が広がっています。これは、参拝者が靴を履いたままでも礼拝できるように、また神職も床の上で祭事を執り行えるようにとの考えからの工夫だそうです。
平成15年には、江戸の開府から400年を記念して、国の登録有形文化財にも認定されています。
一ノ宮:大己貴命(おおなむちのみこと)
天平2年(730)に祀られました。
出雲の国造りを行った神として、国土開発、国土経営の神様として企業・会社経営・事業繁栄の守護神ともされています。
また、妻の須瀬理姫命との「一目惚れ」、「駆け落ち」、「スピード結婚」などの恋愛に関する神話が多いことから、縁結びの神・恋愛成就の神とされており、多くの御子がいることから夫婦和合・子宝の神様とも言われています。
商売繁盛・夫婦和合・子宝・恋愛成就・縁結びのご利益があるとされています。
近くには、日本一大きい大己貴命の石造があります。
昭和51年に造られた石像で、高さ6.6メートル、重さ約30トンもあります。
二之宮:少彦名命(すくなひこなのみこと)
商売繁昌、医薬健康、開運招福、学問の神様です。
一部の言い伝えでは、造化三神の高皇産霊大神の子とされ、また別の言い伝えでは神皇産霊大神の子ともされています。このことから、ムスビの神聖な力が宿っていると考えられています。
神話では、小さな木の実を船として使いこの地にやってきて、大己貴命と共に出雲の国造り、医薬などの豊かな知恵を人々に授けた知恵の富んだ福の神とされています。
三之宮:平将門
延慶2年(1309)に祀られました。
除災厄除の神様とさ、厄除け・戦勝守護のご利益があるとされています。
平将門は、平安時代に京の朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、関東の独立を目指し政治改革を行いました。
藤原秀郷により討伐され、将門塚(東京都千代田区)に御首が祀られています。
水神社(魚河岸水神社)
ご祭神
弥都波能売命(みつはのめのみこと)
江戸時代に、徳川家の武運長久や大漁安全を祈願するために市場の守護神として神田明神の境内に創建されました。
明治6年(1873)に、一度神田明神の境内を離れ、日本橋室町の常盤稲荷神社に合祀され、明治24年(1891)には魚河岸水神社に社名を改名されました。その後、明治34年(1901)に神田明神の境内へ再び遷座されました。
ご祭神である弥都波能売命は、日本神道の代表的な水の神とされています。特に泉や井戸の神として雨を呼ぶことも止めることもできるそうなので、雨ごいなどの際に崇拝されていました。
安産祈願・子宝・五穀豊穣・祈雨・止雨のご利益があります。
牛頭三天王(神田三天王)
牛頭三天王とは、下記の3つの社の総称です。
- 江戸神社 (天王一之宮)
- 大伝馬町八雲神社 (天王二之宮)
- 小舟町八雲神社 (天王三之宮)
厄除け・家内安全・無病息災のご利益があります。
ふむふむ。
起源は、天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)を祀る洲崎神社を江戸の局沢に創建したことです。
洲崎神社に須佐之男命を合祀し、仏教の牛頭天王と習合したため、洲崎明神と称されるようになりました。
1603年、江戸幕府を開くにあたり江戸城の拡大をする際、大手町の神田明神と局沢の洲崎明神が同時に駿河台に移されました。
1616年に、神田明神が現在鎮座している湯島台に遷座。その際に、洲崎明神は三社に分かれ、それぞれが神田神社の境内摂社になりました。
江戸神社 (天王一之宮)
ご祭神
須佐之男命(すさのをのみこと)
江戸時代から建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)を祀っており、当時は祇園会御旅所が南伝馬町にあったことから南伝馬町天王と呼ばれていました。
南伝馬町を中心に人々の信仰が広がったため、「南伝馬町持天王」や「天王一の宮」とも称されました。
慶長10年には、初めての神輿渡御が行われました。これは「天王祭」として知られ、神田明神から南伝馬町の御旅所までの間で、江戸城の大手橋での神事を含む神輿の移動が行われたそうです。
明治元年(1868)に社名が「須賀神社」に改名され、同年の火災で社殿を焼失し神田明神に仮遷座した際に、社名が「江戸神社」に改名されました。
大伝馬町八雲神社 (天王二之宮)
ご祭神
須佐之男命(すさのをのみこと)
江戸時代、須佐之男命の子「五男三女神」が祀られ、「大伝馬町天王」と呼ばれていました。しかし、後にその主神を須佐之男命に変え、「大伝馬八雲神社」という名前になりました。
この「八雲」という名前は、須佐之男命を示すものと言われています。
小舟町八雲神社 (天王三之宮)
ご祭神
須佐之男命(すさのをのみこと)
もともとは、須佐之男命の正妻である「奇稲田姫命」が祀られていました。
その後、ご祭神を須佐之男命に改め、社名が現在の「小舟八雲神社」に改称されました。
浦安稲荷神社
ご祭神
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
天保14年に江戸平川(現在:内神田鎌倉町)に鎮座していた稲荷神社が神田神社に遷座されました。
五穀豊穣・商売繁盛のご利益があります。
三宿稲荷神社・金刀比羅神社
https://www.kandamyoujin.or.jp/keidai/
ご祭神
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
–
大物主命(おおものぬしのかみ)
金山彦命(かなやまひこのみこと)
天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)
創建年代は不明ですが、神田三河町の守護神として創建され、江戸時代から守護神として信仰されています。
その後、神田明神の内川稲荷神社と合祀し末社として遷座。昭和41年に現在の社殿を再建した際に、金比羅神社が合祀されました。
五穀豊穣・商売繁盛・縁結び・安産・家庭円満・金運・長寿・厄除け・無傷無病・開運招福・製鉄・鍛冶のご利益があります。
いろんなご利益があるんだね!
末廣稲荷神社
ご祭神
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
級長戸辺之命(しなとべのみこと)
級長津彦之命(しなつひこのみこと)
元和2年より鎮座しており神田明神が鎮座するよりも前からある古社です。現在の社殿は昭和41年に再建されたものです。
ご祭神は、宇迦之御魂神・級長戸辺之命・級長津彦之命。
ご祭神である級長戸辺之命と級長津彦之命は、伊邪那岐命と伊邪那美命の間に生まれた風の神様です。
この2柱は兄弟とされていますが、夫婦や同一神とも言われています。
この3柱はどれも五穀豊穣のご利益があるとされている神様なので、五穀豊穣・商売繁盛のご利益があります。
合祀殿
https://www.kandamyoujin.or.jp/keidai/
ご祭神
猿田彦大神(さるたひこおおがみ)
塩土老翁神(しおつちのおじ)
誉田別命(ほんだわけのみこと)
木花咲耶姫命(このはなさくやひめ)
菅原道真(すがわらのみちざね)
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
建御名方神(たけみなかたのかみ)
寛政7年(1796年)に創建されました。
神田明神境内に、猿田彦命と塩土老翁神を祀っている籠祖神社を創建したのが始まりとされています。その後、そこに八幡神社、富士神社などを合祀して7社の合祀殿になりました。
以下が祀られているご祭神と神社名です。
- 籠祖神社(猿田彦神、塩土老翁神)
- 八幡神社(誉田別命)
- 富士神社(木花咲耶姫命)
- 天神社(菅原道真命、柿本人麻呂命)
- 大鳥神社(日本武尊)
- 天祖神社(天照大御神)
- 諏訪神社(建御名方神)
籠祖神社に祀れている猿田彦命は、様々な神話で神々の道案内をした神として、導きの神とされています。方除け・交通安全・旅行安全・導きのご利益があるとされています。
籠祖神社に祀られている塩土老翁神は、山幸彦の神話で困っていた山幸彦に船を与えて海の神様の元に送り出した神様です。人々の不幸や悩みに救いの手を差し伸べ、良縁を結ぶ神、予言の神とされています。良縁祈願、恋愛成就、夫婦和合、安産祈願のご利益があります。
八幡神社に祀られている誉田別命は、宇佐八幡宮が発祥とされる八幡大神で、勝負の守護神とされています。国家鎮護 · 殖産興業 · 家運隆昌 · 成功勝利 · 交通安全 · 悪病退散・災難除けのご利益 があるとされています。
富士神社に祀られている木花咲耶姫命は、山の神様の主神である大山祇大神の娘で、父神から火山である富士山を譲り受けたことから火の神や火山を鎮めるための水の神ともされています。また、夫の瓊瓊杵尊に身の潔白を証明するために、燃え盛る産屋の中で子を産んだことから火の神や安産の神とも呼ばれています。火難除け・安産・子授け・農業・漁業・織物業・酒造業・海上安全・航海安全のご利益があります。
天神社に祀られている菅原道真は、生前に学問に優れており天皇からも信頼され出世したことから学問の神様とされています。学業成就・合格祈願・厄除けのご利益があるとされています。
天神社に祀られている柿本人麻呂命は、有名な万葉歌人であり詩歌に秀でています。疫病防除・開運・学問・農業・安産のご利益があるとされています。
大鳥神社に祀られている日本武尊は、武力に優れ、戦士として戦い、人間的な愛や苦悩のある生涯を送った日本神話の英雄とされています。また、東西を平定した後に亡くなっているので悲劇の神様とも言われています。災厄除け・邪気払い・縁結び・商売繁盛・学業成就のご利益があるとされています。
天祖神社に祀られている天照大神は、「皇祖神」とされている神であり、全国民の氏神とされている最高神です。あらゆる福徳・招福・国土安泰・子孫繁栄・五穀豊穣・開運・願望成就のご利益があります。
諏訪神社に祀られている建御名方命は、天照大御神から国譲りを迫られた際に最後まで抵抗し敗れ、諏訪の地へ追いやられた武勇の神です。勝利祈願・子孫繁栄・交通安全・延命長寿・商売繁盛・武運長久・スポーツ上達・開運招福のご利益があります。
こんなに沢山覚えきれないよ。
夫婦の石獅子
夫婦の石獅子が鎮座している獅子山には瀧が流れています。
江戸時代の石造物で、幕末に製作されましたが、大正12年(1923)に起きた関東大震災により、獅子山は崩壊し、子獅子は紛失してしまいました。現在は、再建された獅子山に親獅子が鎮座しています。
神田明神へのアクセス
最後に神田明神へのアクセス方法をまとめておきます。
公式サイトはこちら
https://www.kandamyoujin.or.jp/
所在地
〒101-0021 東京都千代田区外神田2-16-2
電車の場合
- JR中央線・JR総武線「御茶ノ水駅」(聖橋口)より徒歩5分
- JR京浜東北線・JR山手線「秋葉原駅」(電気街口)より徒歩7分
- 東京メトロ丸ノ内線「御茶ノ水駅」(1番口)より徒歩5分
- 東京メトロ千代田線「新御茶ノ水駅」(B1出入口)より徒歩5分
- 東京メトロ銀座線「末広町駅」 より徒歩5分
- 東京メトロ日比谷線「秋葉原駅」 より徒歩7分
車の場合
無料で駐車場が利用できます。〈駐車台数:10台〉
=========
神田明神の解説はどうだった?
すごく参考になった!
境内社が沢山あってどんなお願い事も叶っちゃいそう!
そうだね!
おたぬきも参拝してみてね!
うん!
起業が成功するように祈願してくる!